【坂本龍馬編】TRYFUNDS VALUE

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こんにちは、Tryfunds白髪です。
春も終わり、とうとう梅雨入りですね。
Tryfundsは、より一層アクセルを踏み込み、人員強化・業容拡大に動いていくフェーズとなりました。

人員増加の中で大切にしたいこと

私は、Tryfundsの人事的な仕事もしておりますが、人が増えていく中で、最も大切にしたいこととして、Tryfundsにおける価値観の共有があります。

会社として・組織として大切にしたい価値観をメンバーと徹底して共有しておけば、メンバー全員が仕事に向かう姿勢が統一され、会社としての一体感、推進力が生まれます。また、その価値観が日々の仕事を行う上で意思決定の判断基準になるため、一人ひとりが価値観をベースに信念をもって意思決定が行え、事業のスピード感が一層増していきます。

そんなわけで、Tryfundsは「VALUE」という名前で、メンバーに求められる仕事への姿勢を定義しています。これは単なるお題目でなく、人材採用も、人事評価も、クライアントへの業務の提供方法も、チームメンバーへの接し方も、全てVALUEを基準にして物事を考えるように徹底しています。

VALUEは、下記の3つです。

  • 世界基準で、事業機会を切り拓く。
  • 枠にとらわれず挑戦し、主体者としてやりきる。
  • チームワークで、未踏の高みを目指す。

字面ではなんとなくわかるけど、具体的に言うとVALUEってどういうことなの?
ということを説明するために本日は歴史上の人物の力を借りたいと思います。

私の好きな坂本龍馬さんを題材に説明していきます。

坂本龍馬の行動から感じるVALUE

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(画像:フリー素材)

幕末の偉人坂本龍馬ですが、具体的に何をした人なの?というのはただ単に日本史を専攻していたというだけでは、あまり良くわからないかもしれません。

維新後の表舞台で活躍した、西郷、大久保、桂(木戸)、伊藤、後藤、板垣などと比べると歴史の教科書的に学ぶことは少ない人物です。
しかし兎に角、人気がある。すごく人気者なのです。
私はその人気の秘密とTryfunds Valueがやや関係があるのではないかと考えております。つまりValueが備わっている人は魅力的な人であるということではないかと思うのです。

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(高知県桂浜で筆者撮影)

・世界基準で事業機会を切り拓く

龍馬が活躍していた、幕末の時代は所謂、「倒幕派」「佐幕派」などと呼ばれる考え方や立場の違いがありました。

維新の立役者として有名な薩摩や長州は、当初は「尊皇攘夷」と呼ばれる思想をもっていましたが、欧米の国力を目の当たりにするにつれ、倒幕・開国・近代国家樹立という思想に変わっていきました。

その流れの中で、維新が成し遂げられるわけですが、薩長がそう気づく前に、龍馬は外国と日本の差を冷静に分析し、日本を守る道を模索していました。

他の志士たちが天皇のために幕府を倒そう!と内戦をはじめる中、本来は敵側である幕臣・勝海舟に弟子入りし、欧米に対抗するための力を蓄えるため神戸に海軍学校を作ったり、長崎に亀山社中(貿易からロビイスト的な活動までいろいろやる会社的な組織)を設立したり、その視線の先には常に、「世界」がありました。

我々現代に生きる者からすると、グローバル・外交関係を考えることは、政治経済において、かなり当たり前のことのように感じますが、鎖国政策下で日本のほとんどの人間にとって藩=国だった状況の中で、そこまで世界を見ていた人間はそうそういないと思います。

海外の中の日本という位置づけにいち早く気づき、日本の将来のために世界基準で物事を考えていたからこそ、より大きな画を描くことができ、人々を惹きつけることができたのだと思います(河田小龍、佐久間象山などが龍馬の開国思想には影響を与えているようです)。
正に「世界基準で事業機会を開拓した」行動です。

・枠にとらわれず挑戦し、主体者としてやりきる

龍馬は常に、枠にとらわれない行動を行っています。
当時、罪に問われる行為である「脱藩」をやってのけます。上述のように、当時は「藩」=「国」であり、不法に国外逃亡するという感じです。本人のみならず、残された家族も罰を受ける可能性がある行為でした。
同郷の志士、武市半平太は「龍馬は土佐の国にはあだたぬ(包容しきれぬ)奴」と評していますが、正に土佐の枠には収まりきらず、そこからはみ出る情熱をもっていたのだと思います。

脱藩した時は、恐らく明確な「これを成し遂げる」という目標はまだ持ててなかったと推測されますが、このままじゃいかん。なにか挑戦しないと日本は変わらん。という熱い想いはあったのでしょう。

その後、龍馬はその情熱を絶やすことなく、日本の一大事を自分事としてとらえ、主体者として数々の事を成し遂げていきます。

船中八策という新政府政策の素案まで、元々土佐の脱藩浪人だった人物が書き上げてしまうのですから、どこまでやるんだよ。という感じですが、とにかくいろいろなことに自ら挑戦しつづけ、成し遂げていきます。

龍馬は元々、土佐藩の郷士(中級〜下級武士)の家に生まれであり、比較的裕福な家柄だったとはいえ、当時の身分制度は厳しく郷士の子は一生郷士、剣術の先生になれれば御の字というような環境でした。
自分に与えられた運命の中で、普通に一生懸命頑張っていれば剣術の先生になって、「やったー」となっていたかもしれませんが、正に誰かに与えられた枠にとらわれることなく、自分自身の可能性に挑戦し、維新の中心人物にまでなったのです。
(そう考えると現代日本で、できないことなんて何もないような気がしませんか)

まさに、「枠にとらわれず挑戦し、主体者としてやりきった」人物でした。

・チームワークで未踏の高みをめざす

龍馬の仲介で、当時犬猿の仲と呼ばれていた、薩長が一つの目的のためパートナーシップを組むことになります。薩長同盟です。
この薩長同盟が実現するには、いろいろな回り道があったのですが(西郷が面談をドタキャンしたりとか)。

VALUEで定義している、チームワークというのは単に会社や部、課内のメンバーのことを指すのではなく、クライアントや他社のパートナーまで含めた範囲のことを指しています。

龍馬は、倒幕・開国・近代的新政府樹立という日本にとって未踏の領域である大きなゴール設定を薩摩・長州というそれを成し遂げられる力をもった両雄と共有し、そのトップたち(西郷・桂など)を巻き込み、Win-Winになるような関係性を提示し、薩長同盟を成し遂げました。

薩長両者の懐に深く入り込み、互いの課題を探りその打ち手を考え、両者が補完しあうようなかたちで、一つの目標に対して協力させるように提案する。そしてそのインセンティブ(新政府のポスト)を与えるというまさに、コンサルティングと商社機能をあわせもったような行動です。

一人で成し遂げられることはたかが知れている(自分の手の届く範囲しか変えられません)中で、いかにパワーを持った人々を巻き込み、ベクトルをあわせ進ませられるかが、大きなものごとを成すには非常に重要です。

龍馬のこの行動も「チームワークで未踏の高みを目指した」事例といえそうです。

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(京都府霊山護国神社にて筆者撮影)

まとめ

当時の時代背景として、イギリスの清国侵略(アヘン戦争)など、西洋列強がアジアの国々を植民地化しようとしていたことがあります。永年続いた鎖国をあっさり取りやめて、欧米の言いなりになっている(のように見える)幕府に政治を任せていては、日本も乗っ取られるかもしれんと不安に思った長州・薩摩などが旧態依然とした幕府を解体し、近代的な国家を欧米に学んで作り、彼らに戦争で負けない国家を作ろうという思想で維新を成し遂げたのです。

今の日本は、植民地化されることはないでしょうが、海外市場の取り合いなど、諸外国との競争は続いていきます。

日本のビジネスを加速させるため、世界中の挑戦を支援するため、VALUEに共感してもらえる方、是非是非お待ちしています。

(採用・組織の宣伝でした)

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